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第47回 なぜ、まったく違う問題が同じように語られるのか? データセンターとメガソーラーの比較がもたらす誤解

  • ito4001
  • 10月30日
  • 読了時間: 2分

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最近、社会的な課題を論じる際に、「データセンター建設」と「メガソーラー設置」の問題を、まるでセットであるかのように語る風潮があることに、皆さんはお気づきでしょうか。


先日、ある記事を読んだことがきっかけで、この点について深く考える機会がありました。私たちの社会のデジタル化を支えるデータセンター。その建設が地域で摩擦を生むという話になると、決まって比較対象として、山を切り拓いて建設されるメガソーラーが引き合いに出される。


正直に言って、私はこの論調に強い違和感を覚えます。


たしかに、どちらも「大規模な施設」であり、「地域との間で問題が起きることがある」という点では共通しているかもしれません。しかし、その問題の質は全く異なります。性質の違うものを「問題である」という一点だけで一括りにしてしまうのは、あまりに乱暴な議論ではないでしょうか。


それは、問題の本質から目をそらし、思考を停止させることにも繋がりかねません。


この記事では、私が感じる違和感の正体を突き詰めるべく、データセンターとメガソーラーの問題がなぜ混同されがちなのかを分析し、両者がいかに根本的に異なる課題であるかを、改めて明確に論じてみたいと思います。


メガソーラーやデータセンターは迷惑施設?

事例から考える地域での役割【熊坂仁美コラム】


なぜ私たちは、この二つを混同してしまうのか?

まず、なぜこの根本的に異なる二つの事象が、いとも簡単に結びつけられてしまうのでしょうか。それは、いくつかの表面的な類似点があるからです。


景観を一変させる、その見た目のインパクト

静かな郊外の町に突如現れる、窓一つない巨大な建造物。あるいは、緑豊かだった山肌が、無機質な黒いパネルで埋め尽くされる光景。どちらも視覚的なインパクトが強く、「何か得体の知れない大きなものが、私たちの環境を変えてしまった」という感覚を人々に与えます。


置き去りにされる地域コミュニティという構図

計画の進め方についても、共通する課題が見られます。住民への説明が不十分なまま、いつの間にか話が進んでいる。そうした事業者側の姿勢が、地域社会に不信感を生む。この「巨大資本 vs 地域住民」という対立の構図が、二つの問題を同じカテゴリーに分類させてしまう一因でしょう。


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しかし、これらはあくまで表面的な類似点に過ぎません。問題の核心に目を向ければ、そこには天と地ほどの差があるのです。


続きは、こちら

 
 
 

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